「自己責任」という言葉が、いろいろな意味で使われていて非常に心地が悪い。
「自己責任」がテーマとなって論争している場面でも、実は両者は同じ意味で使っていて実は何を対立しているのか分からない時もある。
シリアから帰還した安田純平氏の話題も最近ようやく下火になったけれど、あの論争はいったい何だったのかと思うほどだ。
自分は、「自己責任」という言葉で思い浮かぶのは、
「自己責任」と当事者が言えば、「俺にかまうな、勝手にやらせてもらうから」という言い換えだ。
勝手にやらせてもらうから、というのは、場合によってはルール違反も法律違反も含んでいる。
例えば、やっちゃだめだ、と決められていることをやる。
「夜の横断歩道を赤信号でも渡る」ことは良いこと、悪いこと?
赤信号を渡るのは法律違反だけれど、やはり、左右を確認して、明らかに自動車が来ていない時に、だれも見ていない時に、本当に赤信号を守って、青信号になるのを待つ必要があるか、ということだ。
夜の赤信号の場合は、周りの状況によってはいいんじゃないの、ということになるが、じゃあ他のシチュエーションではどうなのか、ということは、ケースバイケース。
かなりのグレーゾーンで、グレーの黒さがグラデーションの中にある。
周りが「自己責任」をいう場合、責任放棄。
いやいや、あなたが責任をもって取り組まなきゃいけないんじゃないの?という時がある。相手の責任じゃなくて、あなたの責任じゃないの?と。
それは連帯責任だったり、管理者責任であったり、いろいろと責任を取らなければならない立場があるわけだけれど、それをただ、「あいつが悪い」と放棄する。
これもよく見かけるな、と思う。
つまり今の世の中、誰も、責任について考えちゃいないし、責任の取り方を学んでいないな、という気がする。