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日本語は思考のツールだ

先日お会いした経営者が語った言葉で印象に残ったのは、「日本語はコミュニケーションのツールではなく、思考のツールだと思う」ということ。
たしかに、コミュニケーションにおいて、こんなに多様性と多義性を持ち、誤解されやすい言葉はないのではないか、と思うくらいだ。

もしかすると、漢字を使う中国語も同様かもしれない。
ただし、日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、ときにアルファベットも混じることで、中国語よりも多様性があるかもしれない。

林檎、りんご、リンゴ、同じりんごでも三つの表現が可能なのだから。どれもAppleのことを言っているが、文字を見たときの印象は違う。
逆に、会話のなかでは「りんご」と聞いても、どの林檎、りんご、リンゴなのかわからない。そこに、誤解が生まれる余地がある。もちろん、「りんご」はひとつの例え。

「I have an apple.」にそれ以上の意味はない。
「私はりんごを持っている。」と読むと、「あー、スーパーで買ったりんごかな?」と想像するのに対して、
「私は林檎を持っている。」だと紀伊国屋的なお高いデパートで買ったりんごか、Macのことかな、などと想像する。

コミュニケーションの上で、日本語は難しいし、面倒くさい。
相手の頭のなかで勝手に変換されるから、言ってもいないことを、言ったことにされる場合もあるくらいだ。

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