自分の得意なことを仕事として提供するのは、自然なことであり、プロフェッショナルなことです。
例えば、髪を切るのは誰でもできますが、お客さまの要望に応え、お客さまが気づいていないことも考慮してデザインし、カットするのはプロの美容師でなければできないことです。
同様に、材木、のこぎり、ハンマー、釘を手に入れることは誰にでもできますが、美しくデザインされ、耐久性があり、住みやすい家を作るには、プロの大工が必要です。
つまり、当たり前のことが当たり前にできる能力は、"再現性の高さ "と言い換えることができます。
自分にとって当たり前にできること、それを仕事として提供することはプロの仕事だ。
例えば美容師。
髪を切る、ということはハサミさえあれば誰でもできること。
しかし、相手の要望に沿って、さらに相手の気づいていないことまで考慮して、デザインしカットしていく。
本人の見えない後ろの様子だったり、客観的に見たバランスだったり、相手の立場に立って提案することが必要だ。
例えば大工。
木材、ノコギリ、金槌、釘。
材料は誰にでも手に入れられるものばかり。
しかし、美しく設計された耐久性があって住みやすい家を作ることができるのは大工というプロだからだ。
当たり前にあるものを投入し、プロフェッショナルな人のなかでプロセシングされることで、期待された成果がアウトプットされる(時には期待された以上の成果がアウトプットされる)。
プロフェッショナルとは、当たり前のことを当たり前に処理できる人のことなんだと思う。
当たり前のことを当たり前に処理するということは、つまりは「再現性が高い」と言い換えることもできるのではないか。
再現性の高い仕事を量産できる人のことをプロフェッショナルというのだと思う。